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THE ALFEE
別名
  • ALFIE
  • BE∀T BOYS
  • M∀R∀C∀S BROS.
  • The KanLeKeeZ
出身地 日本の旗 日本 東京都港区
ジャンル
活動期間 1973年 -
レーベル
事務所 Project III
公式サイト THE ALFEE OFFICIAL SITE
メンバー
旧メンバー 三宅康夫(ボーカル・ギター)

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1973年に結成、1974年8月25日にデビューした、日本ロックバンドユニバーサルミュージック内の社内レーベルであるVirgin Music所属。事務所はProject III(田辺エージェンシーのグループ会社。1985年3月30日設立)。

概要

元々は、三宅康夫、桜井賢らによる音楽グループであった。その後、三宅康夫、桜井賢、坂崎幸二(坂崎幸之助)、高橋志郎による「コンフィデンス」というグループ名で[3]1972年小室等のプロデュースにより、「スクリーン・フォーク・アルバム『愛よこんにちは』」でレコードデビュー。メンバーの入れ替わりを経て、1973年、桜井賢と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助、明治学院高校のまた別のバンドにいた高見沢俊彦、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった三宅康夫の4人となる。その為、THE ALFEEとしては1973年結成とされている。

1974年、アイドルフォークバンド「ALFIE」としてレコードデビュー。1975年、三宅が脱退し3人になり、現在に至る[注釈 1]

その後レコード会社からの脱退を経て、1979年に自作の曲で「Alfee」として再デビュー。元来はフォークグループだったが、アルバム『doubt,』以降、ロックの要素を取り入れ、シングル『別れの律動』からバンド名を「ALFEE」と表記変更し、ロックバンドとして活動を始める。その後、ヘヴィメタルプログレッシブ・ロックパンク・ロックあるいはダンス・ミュージックなどの要素も取り入れて活動を展開。アルバム『夢幻の果てに』のインタビューで[どこ?]、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。

1983年の「メリーアン」のヒット以降、30年以上にわたりTHE ALFEE名義において全てのシングルをチャートインさせるなど、コンスタントなセールスを維持している(詳しくは後述)。

1986年、シングル『SWEAT&TEARS』のジャケットから、グループ表記をALFEEからTHE ALFEEに変更。「コンフィデンス」→「Alfie」「ALFEE」→定冠詞THEの追加、というバンド名変遷の理由は特になかった[注釈 2]

2014年3月18日付でこれまでの功績が称えられ、明治学院大学で初の名誉学士称号が授与された。高見沢は、「やっとプロフィールから『中退』を外せる。これからはTHE ALFEE(大卒)と名前を変えて頑張ります」と、喜びを語った[4]

メンバー

※公式サイトの「PROFILE」に準拠[5]

名前 担当楽器 誕生日 血液型
桜井 賢
(さくらい まさる)
ボーカル
ベースギター
(1955-01-20) 1955年1月20日(69歳) A型
坂崎 幸之助
(さかざき こうのすけ)
ボーカル
アコースティック・ギター
パーカッション
(1954-04-15) 1954年4月15日(70歳) O型
高見沢 俊彦
(たかみざわ としひこ)
ボーカル
エレクトリック・ギター
(1954-04-17) 1954年4月17日(70歳) A型

特色

ルーツとされるのは1960-70年代の洋・邦楽ロック&フォークソングであるが、時にはシンセサイザーの多用やギター奏法など、その時々の音楽、ハードロックヘヴィメタルプログレッシブ・ロックニューミュージック等も取り入れている。

メンバー3人が均等にリードボーカルをとり、曲毎(曲によってはパート毎)にリードボーカルを変えるスイッチボーカルもできる[注釈 3]。高見沢は全員がスイッチボーカルできるのはキャンディーズとTHE ALFEEくらいと語っている[6]

桜井にベースを、高見沢にスリーフィンガーの奏法を教えたのは、坂崎である。

THE ALFEE自体、およびメンバー各々に異業種とのコラボレーションもこなす。ジャン・ポール・ゴルチエとの共同企画によるコンサートやエルメスによるアルバム『orb』のジャケットのアートワーク製作等、アパレル業種とのコラボレーションや、レーシングドライバーの野田英樹や、1997、1998年のル・マン24時間レース日産自動車から参戦した星野一義へのパーソナルスポンサー等を務めている。野田英樹には応援歌「Wild Bahn!」を書き下ろしている。

歴史

結成

明治学院高校在学中に、桜井の美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモン&ガーファンクル等のコピーをしていた。バンド名の由来は、S&Gの「ブックエンド」の歌詞に「confidence」とあることから。同時期に高見沢は別のクラスでロックバンド(ツェッペリン・ジュニア・スペシャル)を結成し、レッド・ツェッペリンディープ・パープル等をコピー演奏していた。

コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストにて、坂崎と出会う。坂崎は別のグループを結成して活動するが、その後坂崎のグループが解散したのを機に坂崎はコンフィデンスの一員としてその後のコンテストに飛び入り参加して出場。小室等に注目されデビューのきっかけをつかむ。

桜井、坂崎、高見沢、三宅の4人は明治学院大学に進学した。ロックバンドを解散していた高見沢を坂崎が引き入れ4人体制となった。大学は坂崎は1年で学費未納により除籍処分、桜井と高見沢は中退のため卒業はしていなかったが、前述の通り2014年3月、明治学院大学よりミュージシャンとしての功績を評価され、同大学初となる名誉学士の学位が授与された。3人は名誉卒業生として明治学院大学学位授与・卒業式へ出席し40年越しの卒業を達成した[7][8][9]

当初は全員が作詞・作曲していたが、1979年の再デビュー以降はほぼ全て高見沢が作っている。

デビュー

コンフィデンスの名はデビューに際して、株式会社オリジナルコンフィデンス(現:オリコン株式会社)、および同社発行の音楽業界誌と混同の恐れがあるとして、赤坂にあるTBS会館(彼らの原盤権を持つ日音が入居していた)の下にある店の名前と、ドレミファソラシドのシドの両方の意味で「シド」という名前で動き出した。それがいつの間にか「Alfie(アルフィー)」に変わっていたという。いずれも所属事務所の田辺エージェンシーによる決定であり、坂崎は「着せ替え人形のようなものだった」と語っている[10]。デビュー当初は喋りが達者な坂崎をリーダーとしていた。

ビクター音楽産業から「浪漫派アルフィー」のキャッチフレーズのもとにアイドルフォークバンドとして、シングル『夏しぐれ』でデビューする。デビューは1974年8月25日で、銀座山野楽器でイベントを行っている。しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、続く『青春の記憶』も同様であった。

1975年に三宅康夫が脱退し3人体制となった直後の3枚目のシングル『府中捕物控』が発売日直前に会社の意向で一方的に発売中止となった[注釈 4]のを機にビクターとの契約を解除する。

ライブハウス時代・バックバンド時代

その後、レコード会社の所属のない時代[注釈 5]が続き、事務所の先輩である研ナオコ由紀さおりかまやつひろし堀内護 (MARK)・大野真澄 (VOCAL) 等のバックバンドを務めながらライブハウスで活動を続けた。ステージでは何とか観客をつかもうとコミカルな演出やMCを行う等、自身を印象付けようと努力を重ねるが、その一方で「このままでいいのだろうか」というジレンマに悩みながらの試行錯誤が続いた。その間、メンバーの3人はオリジナル詞曲作成に取り組み始めた。中でも大野真澄(元ガロ)からの助言を受けた高見沢が、楽曲の質、量ともに一番優っていた。2019年の春ツアーのパンフレットの付録のトークCDでは、バックバントとして多くの先輩アーティストにお世話になり、中でもかまやつと研のツアーでは、アルフィーのコーナーを設けて頂いたことを明かしている。

ライブハウス時代の楽曲で、再デビュー後にレコード化された曲、タイトルが変更された曲もある(シングル曲やアルバムのページを参照)。また現在でもCD化されていない曲もある。「ラブレター」や「星空のディスタンス」は当時は、ギターインストゥルメンタルとして演奏されていた。

2015年春ツアーのパンフレットの特典のトークCDでは、ライブハウス時代に「東京」という楽曲があったことを明かしている。

再デビュー・リーダー交替・ロックへの進出

1979年にAlfee(アルフィー)と改称してキャニオンレコードからシングル『ラブレター』で再デビューする。

アルフィーのリーダーは1974年のデビューから坂崎が務めていた。フォークグループとして、高見沢も長年アルフィーではエレキギターを弾かないことにこだわっていたが、1980年に出された3rdアルバム『讃集詩』のプロデューサー井上鑑の提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。またその頃、雑誌のインタビュー[どこ?]で「アルフィーの曲は室内向けだよね」と言われたことに高見沢が反発。翌年の夏に野外イベントを開催することになる。また1982年リリースの5枚目のアルバム『doubt,』からロック系のアレンジで発表する曲を増やし、さらにリーダーを高見沢に交替し、ロックグループとしての色彩を強くする。

なお、ブレイク前には、久光製薬のCMソングの「ニューサロンパスの歌」やポンキッキの「もじさがしのうた」「ごあいさつのうた」等を担当したこともあった。

NHK-FMの各地方局で制作されていたローカル番組FMリクエストアワーに、キャンペーンとして積極的にゲスト出演している。当番組のリクエストランキングにだけトップに位置する現象が多々あった。中でもNHK前橋放送局TPリクエストアワーで専用のジングルを制作。番組内で何度も使用される。

1982年夏に、所沢航空記念公園で行われた初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」では、サポートメンバーを加え、ドラムス・キーボードを含むいわゆるロックバンド編成で演奏を行った。

この年の暮れに発売されたシングル『別れの律動』以降、再デビュー時から用いていた「Alfee」のロゴマークを変更し「ALFEE」とした。

この年よりサポートメンバーを加えて演奏されるのが通常のスタイルとなった(サポートメンバーの歴史は#全国ツアーの項を参照のこと)。

ロック編成初期の頃からドラムスがツーバスでアレンジされている曲もあった。

ロックバンドとしてのイメージ作りとして、高見沢がマーシャルのギターアンプにこだわり、1983年初の日本武道館公演で、セットとしてマーシャルのスピーカーを積み上げたり(マーシャルウォール)、変形ギターを多用してテレビ出演するなどの演出がされた。

ヒット

1983年、コンサート動員力はあったもののヒット曲がない状況で8月24日に初の日本武道館公演を行う。それに続く形でアルバム収録曲の予定であったがシングルで6月にリリースしていた「メリーアン」がヒットし、同年の『第34回NHK紅白歌合戦』にも出演することとなった[注釈 6]

これに続いて翌年には「星空のディスタンス」、「STARSHIP -光を求めて-」などのヒット曲が続き、『ザ・ベストテン』(TBS系)などの音楽番組の常連ともなった。またこの頃より、歌番組以外のいわゆるバラエティ番組への出演も増加した。『メリーアン』以降のシングルCD(レコード)が56作連続でオリコンのランキングトップ10に入り続けている(2023年現在)[12]

毎年1月下旬頃に行われる「大阪国際女子マラソン」のイメージソングを、1987年の第6回大会における「夢よ急げ」以来、2018年の「勇気凛々」まで担当した。

1990年代

1994年、20周年を記念してポニーキャニオン内に独自レーベル(BE∀T BOYSも含む)「Zeit」を立ち上げる。また、同年9月より毎月20日を「THE ALFEEの日」と銘打ち、数か月間シングルまたはアルバムを定期的に発売した。

1996年のアルバム『LOVE』や1998年のアルバム『Nouvelle Vague』ではストリングスアレンジが多用され、シンフォニック・ロックネオクラシカルメタルのジャンルにも分類される。

1997年東芝EMIに移籍した。

21世紀以降

2001年のシングル『Juliet』、アルバム『GLINT BEAT』ではブリティッシュ・ロックパンク・ロックのサウンドを取り入れた。

春・秋のライブツアー・夏のイベントライブを中心に活動中。2000年以降は、シングルは年に1枚(2009年はデビュー35周年を記念して3枚のシングルが発売された)。オリジナルアルバムは3 - 5年に1枚、その他新録音のベスト・アルバムやアニバーサリーイヤー企画のリリースをしている。ライブDVDは毎年発売され、2007年の日本武道館以降のライブ映像ははEMIミュージック・ジャパンからではなく、プライベートレーベルのアルフレッドからになっている。

2015年2月21日より、ドキュメンタリー映画『THE ALFEE 40th Anniversary Film THE LAST GENESIS 〜40年の軌跡と奇跡〜』が公開され、前日の2月20日には、東京・シネマメディアージュにて、メンバーの舞台挨拶と先行上映が行われた[13]

2016年12月21日、メンバー3人が還暦を迎えて以降にコンサートのアンコールで、ミリタリージャケットを身に付けて披露していた「The KanLeKeeZ」としてデビューし、アルバム『G.S. meets The KanLeKeeZ』を発売。グループサウンズを敬愛し、最年長新人バンドとされている。同アルバムは翌2017年のレコード大賞企画賞を受賞した[14]

2018年12月24日の日本武道館公演で、大阪国際女子マラソンのイメージソングを、1987年から(阪神・淡路大震災で中止となった1995年を除く)31年間担当してきた記録に関して、「同一国際スポーツ大会のテレビ放送における同一アーティストによる最多テーマソング数」がギネス世界記録に認められ、認定証を授与された[15]

2020年10月4日より、新型コロナウイルスの影響により、ライブを開催できないこともあり、「Come on! ALFEE!! ~LIVE&チャット&生トーク~」の配信を2021年2月28日まで全12回の予定で開始した[16]

2021年4月15日より、「Come on! ALFEE!! Season2 春の夢のつづき「毎回SPだ!!」」の配信を2021年7月18日まで全10回の予定[17]

2021年10月9日より、「Come on! ALFEE!! Season3 Baby,Come Back! 毎回が日本一だ!」の配信を2021年12月5日まで全7回の予定[18]

2022年1月10日より、「Come on! ALFEE!! Season4 2022 GO TO SPRING!!」の配信を2022年3月14日まで全5回の予定[19]

2022年6月2日より、「Come on! ALFEE!! Season5「月イチでもいいからお願いよって熱いリクエストに応えて、春ツアー中に緊急開幕のシーズン5スペシャル!」」の配信を2022年9月19日まで全4回の予定[20]

ライブ活動

全国ツアー

THE ALFEEは1982年夏ごろより、コンサートツアーにタイトルをつけ、毎年全国を回ってコンサートツアーを行っている。

基本的に春(3月下旬〜7月上旬)と秋(9月中旬〜12月下旬)の2回ツアー(以下、「春ツアー」、「秋ツアー」と記述)が行われ、春ツアーと秋ツアーでステージセットやツアーの基本となるセットリストが変わる。また、2011年より秋ツアー終盤の日本武道館大阪城ホールでのアリーナ公演を「ファイナルシリーズ」と銘打ち構成を一新、大ホール向けの照明演出を用いた演出、特別グッズの販売等が行われる。その為アリーナツアーは、冬のイベント(冬イベ)的な要素がある。2016年は春ツアーを「春フェス」、夏のイベントを「夏フェス」、秋ツアーを「秋フェス」、年末のアリーナ公演を「冬フェス」と題して行い、2017年以降も春夏秋冬に則したツアー名が付けられている。セットリストのチェンジも多く、2日間公演などでは大幅に変える場合もある[注釈 7]。最も多い年では年間113公演[注釈 8]をこなし、2019年現在でも年間で約60公演を行うなど、ライブを中心に活動を続けている。

ツアーサポートミュージシャン

※演奏のほかコーラスパートも担当し、ステージでは最大5声のコーラスを聴くことができる。

元サポートミュージシャン

※サポート体制が、ツインドラム、ツインキーボードの体制の時期あり。

※相沢と山石は、共にSCRAMBLEというバンドで活動していた。

※杉山は1991年の高見沢のソロツアーにも参加。

ツアーだけではなく、レコーディングでも多くの楽曲に関わっている。1990年代の一時期にはライブ活動時に限りTHE ALFEEの名を「バンド」扱いとし、コンサートのビデオソフト等ではTHE ALFEEの正メンバー3人とほぼ同格にサポートミュージシャン名も列挙するなどしていたが短期間で終わり、それ以降は明確に区別されている。

ツアータイトルと略歴

この節の加筆が望まれています。

サマーイベント

彼らは夏の風物詩として野外で大規模なコンサートを行ってきた。数回の例外はあるが例年屋根のない場所で行われ、原則として同じ場所での公演は控えてきた。しかし晩年は場所探しの難航から、これらの原則は守ることが徐々に困難となっていた。

2007年にはそれまで25年間連続して行ってきた夏のイベントを一時休止、2009年8月8日、9日に開催された「YOKOHAMA PERFECT BURN」をもって、長年続けてきた夏の野外イベントは終了した。その後屋内会場ではあるが、さいたまスーパーアリーナで3公演、横浜アリーナで4公演(うち1公演は無観客)、 幕張メッセ国際展示場で1公演、ぴあアリーナMMで1公演が開催されている。

海外公演

1998年にはニューヨーク、1999年にはベルリンと、企画あるいはイベントのオファーにより海外においてコンサートを行っている。

カウントダウンイベント

2000年から2001年の年明け、2004年から2005年の年明けまで現時点では通算2度のカウントダウンイベントを行っている(2023年現在)。

その他ライブイベント

その他フェス等ジョイントイベント

NHK紅白歌合戦出場歴

ALFEEとして出場

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1983年(昭和58年)/第34回 メリーアン 10/21 早見優
注意点

レギュラー出演

※当欄では「3人がレギュラー出演」の番組のみを指す。

逸話

THE ALFEE以外の活動

BE∀T BOYS

1981年、ディスコ調に乗せてビートルズの曲のサビ部分をメドレーで繋ぐ「ショッキング・ビートルズ〜スターズ・オン45」(Stars on 45) などのアーティストのメドレー物の世界的流行を受け、『吉田拓郎のオールナイトニッポン』の番組企画で、吉田拓郎のメドレー曲をアルフィーが制作。これが思わぬ反響を呼び、アルフィーの名を伏せ[注釈 15]、覆面バンド・ビートボーイズ(BEAT BOYS、1988年以降はBE∀T BOYS)名で「スターズ☆オン23 吉田拓郎(後に『ショック!! TAKURO 23』と改名。CDはこの名前で発売された。現在は廃盤)」としてレコード発売(発売時のレーベルもご丁寧に、当時アルフィーが所属していたキャニオン・レコード内の「F-LABEL」ではなく、本家の「CANYON」レーベルからリリースされた。更にこの曲は長さが10分以上あり、レコードではA面とB面で2パートに分かれていた。CDでは2つのパートは途切れずに繋がっている)。ビートボーイズとは、ビートルズとビーチボーイズから由来する。歌っているのは誰か? とクイズを出したが、殆どの葉書がアルフィーとの答えで、正体は完全にバレていた。この正解発表時に正体を伏せたまま(坂崎がじょんのれん、高見沢がポール・マッカーサー、桜井が祥寺張扇(じょうじ・はりせん)と名乗った[注釈 16])『吉田拓郎のオールナイトニッポン』に覆面を被り乱入した。本レコードは企画ものでありながら、売り上げ枚数がアルフィーを含めた当時の自己ベストセールスを挙げてしまった。しかもこの曲は「BEAT BOYS」名義でありながら、曲のほぼ全てを坂崎幸之助が一人で歌っており(高見沢俊彦と桜井賢はバックコーラスのみ参加)、実質的には坂崎のソロ曲と言えるものである[注釈 17])。

その後BE∀T BOYSは、1988年に趣向を変えダンスグループとして活動を開始した。この際も、アルフィーとは全く違うとして本名を用いず、サクライ(桜井賢)をリーダーとし、アルバム、シングルをそれぞれリリースし、アルフィーのコンサート活動を縮小してこちらのコンサートツアーや野外ライブ「GO! GO! NAGOYA-DAGANE!」(チケットは宝地図)も行われた。また、アルフィーに敵愾心を持っている設定をしており、楽器を持っての演奏はしなかった。現に『夜のヒットスタジオDELUXE』に出演した時は「僕たちはアルフィーは嫌いだ」と発言し正体を隠した。同番組で1度だけアルフィーと共演を果たしている。また『歌のトップテン[注釈 18]に出演した際には、アルフィーとの違いを以下のように説明している。

ライブ活動は1989年以来行っていなかったが、1996年の冬の日本武道館・1998年の立川での夏のイベント前夜祭、2004年のアルフィー秋ツアー内でゲスト出演、2006年、2007年の秋ツアーにも同行した。2007年の武道館公演では新曲[注釈 19]を披露した。2009年、2014年の武道館公演でも登場し、数曲演奏した。

CDシングルのリリースとしては、突発的に行われていたが、THE ALFEEの東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)移籍以降は発売されていない。

1988年以降は、作詞に松井五郎麻生圭子、アレンジャーに 武部聡志、コーラスに鈴木康博、等など外部の音楽家を起用。さらに『GO!GO! BE∀T BOYS!!』に収録された「Let's! Break Dance!!」では小室哲哉がアレンジを担当。

当時、BE∀T BOYS (ALFEE) とTM NETWORKが共演したラジオ番組『日立FAN!FUN!TODAY』で高見沢が「小室君から戻ってきたら違う曲になっていた」と発言。これに対し小室が「でき上がった曲を聞いたら違う曲になっていました」と冗談半分に発言していた。

その他

高見沢は、明石家さんま猿岩石柏原芳恵小泉今日子後藤久美子瀬能あづさとんねるず新田恵利真璃子薬師丸ひろ子Skirt鈴木彩子等、多くのアイドル歌手やタレント達に、それぞれ楽曲を提供している。他にも、古舘伊知郎の芝居『トーキング・ブルース』の音楽監督を務めたり、『ドラえもん』の劇場版や『フィギュア17 つばさ&ヒカル』等への楽曲提供、ドラマでの音楽監督、KinKi Kids司会の番組『堂本兄弟』に出演したり、また坂崎は2002年に期間限定で再結成したザ・フォーク・クルセダーズに参加したり、フォークソングのイベントなどでの司会を務めたりなどと、バンド以外での活動も多く、アイドル(KinKi Kids篠原ともえなど)やフォーク歌手(吉田拓郎南こうせつなど)との交流がある

音楽以外の活動

田辺エージェンシーでは、所属歌手に歌手活動以外にバラエティ番組への出演をさせる方針がとられていた。THE ALFEEも例に漏れず、ALFEE時代の1984年TBS系列で『アルフィーのある日ィ突然!』という単発ドラマが放送されている。この番組は『ザ・ベストテン&「ある日ィ突然」complete edition 2000』というタイトルでDVD化されており、現在でも入手可能である(ただし、放送では流れたビートルズの曲が収録されておらず、放送で流れた曲名が字幕で紹介されている)。

現在は田辺エージェンシー所属ではなく、そこから独立した事務所・Project III(プロジェクト・スリー)に所属しているが、その頃からの流れは続き、グループあるいは単独でテレビ・ラジオのバラエティー番組に数多く出演している。過去のシングル・アルバム等の版権は田辺エージェンシーの系列の田辺音楽出版が所持をしており、現在でも各種クレジットには田辺昭知の名が記載されているように田辺エージェンシーとは密接な関係である。

芸能人ではかつてはとんねるずとの交流は深かった。『とんねるずのみなさんのおかげです』で行った卓球対決が人気となり、日本武道館での最終決戦も行われた。その功績が評価され、1992年には日本卓球協会から名誉初段を贈られている。また、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では、高見沢が二度にわたってスペインでの闘牛に参加している(ただ、2度目の出演時に左手人差し指を骨折してしまい、そのすぐ後のツアーに悪い影響を与えてしまっている)。

2018年3月30日公開の『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』では、3人組の情報屋・ドーガン=ダギーズ役で3人揃って声優を務めた。

ディスコグラフィ

タイアップ一覧

楽曲 タイアップ
ラブレター ショウワノート」コマーシャルソング(1979年)
無言劇 テレビ東京系ドラマ『あいつと俺』主題歌(1980年)
美しいシーズン 東映映画不良少年』主題歌(1980年)
星空のディスタンス TBS金曜ドラマ無邪気な関係』主題歌(1984年)
STARSHIP〜光を求めて〜 映画『SF新世紀レンズマン』平和のテーマ(1984年)
愛の鼓動 映画「SF新世紀レンズマン」愛のテーマ(1984年)
恋人達のペイヴメント 江崎グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング(1984年)
シンデレラは眠れない カネボウ化粧品'85春のイメージソング(1985年)
真夏のストレンジャー 全日空 夏の北海道キャンペーンソング(1985年)
風曜日、君をつれて 全日空 夏の沖縄キャンペーンソング(1986年)
夢よ急げ 1987 第6回大阪国際女子マラソンイメージソング(1987年)
サファイアの瞳 ライオン「ページワン」CMソング(1987年)
君が通り過ぎたあとに -DON'T PASS ME BY- 東宝映画タッチ3』主題歌(1987年)
FOR THE BRAND NEW DREAM 東宝映画『タッチ3』エンディングテーマ(1987年)
LONG WAY TO FREEDOM アルプス電気」CMソング(1987年)
It's Alright 1988 第7回大阪国際女子マラソンイメージソング(1988年)
Girl フジテレビ系『桃色学園都市宣言!!』主題歌(1988年)
WEEKEND SHUFFLE -華やかな週末- TBS系ドラマ『パパは年中苦労する』主題歌 (1988年)
見つめていたい TBS系ドラマ『パパは年中苦労する』挿入歌(1988年)
FOR YOUR LOVE(「裏切りへの前奏曲」の英詞版) 東宝映画『孔雀王』エンディングテーマ(1988年)
Catch Your Earth 日本テレビ系『巨泉のこんなモノいらない!?』エンディングテーマ(1988年)
Kitto 日本テレビ系『巨泉のこんなモノいらない!?』エンディングテーマ(1989年)
Loving You 「高砂殿」CMソング(1988年)
FAITH OF LOVE 東映映画『将軍家光の乱心 激突』メインテーマ(1988年)
YOU GET TO RUN 東映映画『将軍家光の乱心 激突』ファイティングテーマ(1988年)
High-Heel Resistance 1989 第8回大阪国際女子マラソンイメージソング(1989年)
恋人の歌がきこえる 日本テレビ系ドラマ『恋人の歌がきこえる』主題歌(1989年)
FLOWER REVOLUTION EXPO'90国際花と緑の博覧会イメージソング(1990年)
1990 第9回大阪国際女子マラソンイメージソング(1990年)
Shadow of Kingdom ファミリーコンピュータ用ゲームソフト『シャドウ・ブレイン』主題歌(1990年)
Arcadia 1991 第10回大阪国際女子マラソンイメージソング(1991年)
Someday 1992 第11回大阪国際女子マラソンイメージソング(1992年)
Promised Love 日本テレビ系ドラマ『ポールポジション!愛しき人へ…』主題歌(1992年)
君に逢ったのはいつだろう フジテレビ・イベント「最後の恐竜王国」テーマソング(1992年)
RUNNING WILD 1993 第12回大阪国際女子マラソンイメージソング(1993年)
Believe TBS系『ムーブ』エンディングテーマ(1993年)
Victory Jリーグ A.S FLUGELS オフィシャルソング(1993年)
もう一度君に逢いたい 日本テレビ系『スーパーテレビ情報最前線』エンディングテーマ(1993年)
風を追いかけて 1994 第13回大阪国際女子マラソンイメージソング(1994年)
まだ見ぬ君への愛の詩 アサヒ飲料三ツ矢サイダー」CMソング(1994年)
愛こそ力〜Power for Love〜 フジテレビ系「タイムアングル」エンディングテーマ(1994年)
COMPLEX BLUE ー愛だけ哀しすぎて フジテレビビデオサスペンスシリーズ『COMPLEX BLUE』主題歌(1994年)
冒険者たち NHKアニメ『モンタナ・ジョーンズ』オープニングテーマ(1994年)
エルドラド NHKアニメ『モンタナ・ジョーンズ』エンディングテーマ(1994年)
WILD BAHN! F-1野田英樹選手応援ソング(1994年)
MEN'S TENORAS CMソング(1994年)
JUMP![注釈 20] ふくしま国体テーマソング(1995年)
LOVE NEVER DIES 日本テレビ系ドラマ『奇跡のロマンス』主題歌(1996年)
GLORY DAYS 1996 第15回大阪国際女子マラソンイメージソング(1996年)
倖せのかたち〜Send My Heart〜 東邦生命」CMソング(1996年)
曲名不明 「東邦生命」CMソング(1997年)
Liberty Bell 1997 第16回大阪国際女子マラソンイメージソング(1997年)[注釈 21]
Crisis Game -世紀末の危険な遊戯- 東芝DVDプレーヤーSD-P410 CMソング(1997年)
Brave Love 〜Galaxy Express 999 東映アニメ映画「銀河鉄道999〜エターナル・ファンタジー」主題歌(1998年)
Beyond The Win 1998 第17回大阪国際女子マラソンイメージソング(1998年)
Sister of the Rainbow TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ(1998年)
PRIDE TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ(1998年)
希望の鐘が鳴る朝に TBS系東芝日曜劇場サラリーマン金太郎』主題歌(1999年)
Beginning of the Time 1999 第18回大阪国際女子マラソンイメージソング(1999年)
Wings of Freedom Jリーグ横浜FC」オフィシャルソング(1999年)
Justice For True Love 東映アニメ映画『金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー』主題歌(1999年)
NEVER FADE テレビ朝日系『T_2SHOW』エンディングテーマ(2000年)
Wake Up 〜 Goodbye 20th century boy 読売テレビ・日本テレビ系『ウェークアップ!』エンディングテーマ(2000年)
自由になるために 2000 第19回大阪国際女子マラソンイメージソング(2000年)
Juliet テレビ朝日系アニメ『すしあざらし』テーマソング(2001年)
テレビ朝日系「T_2SHOW」エンディングテーマ(2001年)
Change the wind 2001 第20回大阪国際女子マラソンイメージソング(2001年)
Boy AT-Xアニメ『フィギュア17 つばさ&ヒカル』オープニングテーマ(2001年)
Fairy Dance AT-Xアニメ『フィギュア17 つばさ&ヒカル』エンディングテーマ(2001年)
太陽は沈まない フジテレビ系ドラマ『ショムニFINAL』主題歌(2002年)
Chaosの世界 2002 第21回大阪国際女子マラソンイメージソング(2002年)
孤独な世代 2003 第22回大阪国際女子マラソンイメージソング(2003年)
タンポポの詩 テレビ朝日系アニメ『ドラえもん』エンディングテーマ(2003年)
希望の橋 TBS系ドラマ『サラリーマン金太郎4』主題歌(2004年)
夜明けの星を目指して 2004 第23回大阪国際女子マラソンイメージソング(2004年)
TRY 彩の国まごころ国体イメージソング(2004年)
100億のLove Story TBS系ドラマナショナル劇場こちら本池上署5』主題歌(2005年)
ZeRoになれ! 2005 第24回大阪国際女子マラソンイメージソング(2005年)
ONE 2006 第25回大阪国際女子マラソンイメージソング(2006年)
TBSテレビ・ラジオ「ドラマ原作大賞」作品募集CM(2006年)
Innocent Love 中部日本放送・TBS系 ドラマ30(CBCテレビ50周年記念企画)「みこん六姉妹」主題歌(2006年)
Dear My Life 2007 第26回大阪国際女子マラソンイメージソング(2007年)
Lifetime Love 中部日本放送・TBS系『みこん六姉妹2』主題歌(2008年)
Wonderful Days 2008 第27回大阪国際女子マラソンイメージソング(2008年)
Shining Run〜輝く道に向かって〜 2009 第28回大阪国際女子マラソンイメージソング(2009年)
桜の実の熟する時 テレビ朝日系ドラマ 木曜ミステリー京都地検の女」主題歌 (2009年)
風の詩 映画『ウォーロード/男たちの誓い』日本版エンディングテーマソング(2009年)
夜明けを求めて フジテレビ系『嵐がくれたもの』主題歌(2009年)
この愛を捧げて アニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』主題歌(2009年)
宇宙戦艦ヤマト 2009 アニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』挿入歌(2009年)
GET YOUR CHANCE 2010 第29回大阪国際女子マラソンイメージソング(2010年
Let It Go 2011 第30回大阪国際女子マラソンイメージソング(2011年
生きよう 2012 第31回大阪国際女子マラソンイメージソング(2012年
Final Wars! テレビ東京系特撮ドラマ『ウルトラマン列伝』主題歌(2013年
もう一度ここから始めよう 2013 第32回大阪国際女子マラソンイメージソング(2013年)
星空のディスタンス KIRINのどごし生、夢のドリーム CMソング(2013年)
GLORIOUS テレビ東京系『刑事吉永誠一 涙の事件簿』主題歌(2013年)
LOVES FOR ONE 2014 第33回大阪国際女子マラソンイメージソング(2014年)
英雄の詩 テレビ東京系特撮ドラマ『新ウルトラマン列伝』主題歌(2014年)
One Step 〜再始動 2015 第34回大阪国際女子マラソンイメージソング(2015年)
風の翼 2016 第35回大阪国際女子マラソンイメージソング(2016年)
今日のつづきが未来になる 日本テレビ系『ぶらり途中下車の旅』エンディングテーマ(2016年4月 - 7月2日)
この素晴らしき愛のために 日本テレビ系『ぶらり途中下車の旅』エンディングテーマ(2016年7月9日 - 9月)
創造への楔 2017 第36回大阪国際女子マラソンイメージソング(2017年)
勇気凛々 2018 第37回大阪国際女子マラソンイメージソング(2018年)
はじまりの詩 bayfm POWER PLAY 第520回(期間:6/10~6/30)(2019年)
愛をとりもどせ!! スマートフォン向けゲームアプリ『北斗の拳 LEGENDS ReVIVE』テーマソング(2019年)
Joker -眠らない街- テレビ東京系ドラマ『記憶捜査2〜新宿東署事件ファイル〜』エンディングテーマ(2020年)
Circle of Seasons テレビ東京系ドラマ『記憶捜査3〜新宿東署事件ファイル〜』エンディングテーマ(2022年)
鋼の騎士Q フジテレビ系ドラマ『グランマの憂鬱』主題歌
ロマンスが舞い降りて来た夜 フジテレビ系ドラマ『心はロンリー気持ちは「…」FINAL』主題歌
エフエムナックファイブサウンドステッカー(開始時期不明)[注釈 22][要検証]

CM出演および使用楽曲

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ アルフィーの歴史を描いた吉岡つとむ原作の漫画『ドリームジェネレーション』によれば、「三宅(作中では「南」)の父が倒れたため長男だった彼は、家業の電気屋を継ぐため脱退した」となっている。しかし、その記述が出てくるのはこの漫画のみで、他では一切語られていない。在籍時の三宅は「THE ALFEE BOOK vol.1」などで見ることができる。
  2. ^ THE ALFEE名義になった後の作品では、『君が通り過ぎたあとに -Don't Pass Me By-』がAlfee名義で発売された。
  3. ^ 1987年頃まで、テレビでの演奏時には曲毎のリードボーカルが中心になるよう立ち位置を変えていた。現在は曲にかかわらずほぼ、左から桜井・坂崎・高見沢の順で固定。
  4. ^ 同曲は三億円強奪事件のパロディソングであり「犯罪者を礼賛している」「社の良識に合わない」などの意見が上層部から出されたためと言われている[11]
  5. ^ 彼らはこの頃のことを下積み時代ではなく、上積み時代と強調する。[要出典]
  6. ^ メリーアン」のリリースは武道館公演より前の6月21日。武道館公演当時はチャートの30位ほどで、チャート上位に入ったのは同年の9月のことであった。
  7. ^ 1999年頃、桜井はテレビのインタビュー[どこ?]で「1公演ごとに8曲入れ替えられる」と証言している(これは公演ごとに全体の3分の1におよぶ曲数を入れ替えている計算になる)[出典無効]。さらに1会場で複数公演行う場合や、夏のイベントなどでは全体の半分以上の楽曲が入れ替えられることもある。
  8. ^ 1988年のツアーの公演本数。しかし、夏のイベントやBEATBOYSとしての公演等、全国ツアー以外の公演数を含めるとこの年は120公演行っている。
  9. ^ 1982年の夏のイベントの映像(リハーサル風景)で富岡の出演が確認できる。
  10. ^ DVDソフト『ALFEE HISTORY I』に夏のイベントに出演する遠藤の姿が残っているが、通常のツアーに遠藤が参加していたかどうかは不明。
  11. ^ サポートメンバーがドラムとキーボードの2人体制の場合。3人体制の場合はこの限りではない。
  12. ^ 開場と同時に演奏開始された。
  13. ^ 当初4曲の予定だったが、時間の都合2曲カットされた。
  14. ^ 当時、単一アーティストによる日本最大の動員数として記録され、1999年5月30日にLUNA SEAが東京ビッグサイトにおいて観客動員数10万人、1999年7月31日にGLAY幕張メッセにおいて観客動員数20万人のコンサートを行うまで更新されることはなかった。
  15. ^ この時アルフィーの名を伏せたのは、当時まだアルフィーの知名度が低く、このようなパロディー曲で有名になってしまったら今後の音楽活動に影響が出てしまうのを避けるという理由であった。[要出典]
  16. ^ なお、シングル「スターズ☆オン23 吉田拓郎(ショック!! TAKURO 23)」のライナーノーツによると、この3人の他にリンゴ・ジュースなる人物が時々バンドに参加するとされている。
  17. ^ オールナイト・ニッポンで吉田拓郎は坂崎に「これ歌ってるのお前(坂崎)だけじゃん。高見沢と桜井はコーラス取ってるだけだから、これお前のソロじゃねぇかよ」と言われて、坂崎は「そうか、(自分の)ソロでもよかったんだ。唯一のソロシングル(笑)」と納得させられていた。
  18. ^ 1989年6月19日放送分にて「誰よりもLady Jane」が第9位にランクインした週。
  19. ^ 2008年3月発売のシングル『Lifetime Love』のボーナストラックとして収録された。
  20. ^ 『LIVE IN PROGRESS』に収録されている「JUMP'95」とはアレンジが異なる
  21. ^ 本来は第14回の1995年大会のイメージソングであったが、阪神・淡路大震災で中止となったため1997年大会で改めて使用された。
  22. ^ 坂崎が番組を持っているため。

出典

  1. ^ (インタビュアー:高橋豊)「THE ALFEE「人間だから悲しいんだ」インタビュー――結成45周年に相応しいストレートなハード・フォークロックを」『encore』、USEN、2017年12月22日https://e.usen.com/enjoy-u/19875/2020年11月23日閲覧 
  2. ^ a b (インタビュアー:平賀哲雄)「THE ALFEE『友よ人生を語る前に』インタビュー」『Billboard JAPAN』、阪神コンテンツリンクhttps://www.billboard-japan.com/special/detail/29762020年11月23日閲覧 
  3. ^ コンフィデンスLP「スクリーン・フォーク・アルバム『愛よこんにちは』」見開きジャケットより
  4. ^ “THE ALFEE、約40年の時を経て母校・明治学院大学を名誉卒業”. OKMusic (ジャパンミュージックネットワーク ). (2014年3月19日). https://okmusic.jp/news/34156 2020年11月24日閲覧。 
  5. ^ PROFILE”. THE ALFEE OFFICIAL WEB SITE. 2020年11月24日閲覧。
  6. ^ (2ページ目)3世代ファン急増中 「アルフィー」から漂う“現役感”の秘訣 - 日刊ゲンダイ
  7. ^ ALFEE、59歳で大学名誉卒業、ニッカンスポーツ、2014年3月19日
  8. ^ アルフィー、40年越しで“名誉卒業証書”日テレNEWS24、2014年3月19日
  9. ^ アルフィー明学大卒業で「やっと大卒」デイリースポーツ、2014年3月19日
  10. ^ オーバー・ドライブ 1982, p. 73.
  11. ^ アルフィー物語 3 1987, p. 123.
  12. ^ THEALFEE、シングル55作連続TOP10入り”. ORICON NEWS (2021年8月3日). 2021年11月24日閲覧。
  13. ^ “THE ALFEE40年振り返る映画舞台あいさつに観客大爆笑!これまで続いた秘訣も披露”. NEWS LOUNGE (Mobile Media Production). (2015年2月21日). https://newslounge.net/archives/162212 2020年11月24日閲覧。 
  14. ^ “The KanLeKeeZ:レコ大企画賞に高見沢俊彦「戸惑い」 次は「THE ALFEE」で受賞狙う?”. MANTANWEB (MANTAN). (2017年12月21日). https://mantan-web.jp/article/20171220dog00m200022000c.html 2020年11月24日閲覧。 
  15. ^ “THE ALFEE、ギネス認定 坂崎「長生きするものですね」 公演数記録も更新”. MusicVoice (アイ・シー・アイ). (2018年12月25日). https://www.musicvoice.jp/news/110456/ 2020年11月24日閲覧。 
  16. ^ “Come on! ALFEE!! ~LIVE&チャット&生トーク~(全12回)”. thumva (thumva). (2021年1月1日). https://thumva.com/events/cT5XA1tSEbbWkjP/ 2021年1月1日閲覧。 
  17. ^ “Come on! ALFEE!! Season2 春の夢のつづき「毎回SPだ!!」(全10回)”. thumva (thumva). (2021年3月28日). https://thumva.com/events/d0WXwyjnU24TvBe 2021年3月28日閲覧。 
  18. ^ “Come on ! ALFEE !! Season3 Baby,Come Back! 毎回が日本一だ!(全7回)”. thumva (thumva). (2021年12月3日). https://thumva.com/events/d8wwAnkPKUpL0Ws 2021年12月3日閲覧。 
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  48. ^ シェアBOX「迷うTHE ALFEE」篇 - KFC公式YouTubeチャンネル
  49. ^ ケンタッキーフライドチキン公式Twitter 2022年3月5日付

参考文献

関連項目

外部リンク