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この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?"H.m.p" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年7月)
株式会社h.m.p
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
130-0025
東京都墨田区千歳1-1-1
三京ビル2F
設立 1981年
業種 情報・通信業
法人番号 4010001128133
事業内容 映画、ビデオ・ムービー、ビデオソフトの 企画・制作・販売
マルチメディア関連ソフト(DVD、Blu-ray Disc他)の企画・製作・販売
通信・放送衛星(CS・BS)など宇宙波及びCATVを含む映像ソフトの企画・制作
代表者 賀山茂
資本金 1000万円
外部リンク https://www.hmp.jp/other/profile/
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h.m.p
グループ 芳友
主なレーベル h.m.p
芳友会
ビデオバンク
ジャンル オムニバス
人気シリーズ
女優ベスト
シリーズ Bomb
大全集
Candy など
DVD発売日 毎月第一金曜
代表者 賀山茂
公式サイト h.m.p公式サイト
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株式会社h.m.pは、1981年に創業した日本のアダルトビデオメーカー。一般向け映像ソフトの制作・販売も行う。

概要

ビデ倫AVメーカー最大手の一つであり、以下の各社で構成する芳友グループの中核企業である(2006年1月現在)。

  1. h.m.p株式会社
  2. 株式会社芳友舎
  3. 銀河映像株式会社
  4. 株式会社ビデオバンク
  5. 株式会社メディア・ジャック
  6. 株式会社メディア・ワーク・ステーション

本項では発売元となっている1~4の各社を中心に取り上げる。5はピンク映画の監督として知られた笠井雅裕が率いる制作会社。なお後述するが、現在の芳友舎は1998年に設立された社内企業であり、旧芳友舎の流れを汲むのはh.m.pの方である。

沿革

1980年代

オーナーの賀山茂が1979年東京六本木に開設した会員制SMサロン、「SAMM」を母体に1981年に創業。サロンの名を冠した「サム・ビデオ・センター」として、当初は「本格派のSM」をうたったマニアックなSM作品をリリースしていた[1]

1984年3月、株式会社芳友舎が設立され、サムは同社のメインレーベルとなるとともに、作品の傾向も一般的な路線へとシフトした。1985年九鬼で監督デビューしていた豊田薫が加入。「マクロ・ボディ 奥までのぞいて」等の性表現の限界を追求した作品群を世に送り出し、サムへの注目度を一気に高めた。豊田は1990年ダイヤモンド映像に移籍するまでの間、斉藤唯の「禁姦色II」などのヒット作品を数多く制作し、80年代のサムの牽引役となった。また神野龍太郎、東良美季などの職人肌の監督が、キャッチーかつハード路線というサムのレーベルカラーを演出。1988年ごろから始まった「淫乱ブーム」では、80年代中盤の美少女ブームを主導した宇宙企画が失速する一方で、サムは存在感を強くアピールした。

サムと並行して、芳友舎は1984年に「ミス・クリスティーヌ(Miss Christine)」レーベルを設置。1社が複数のレーベルを持つ先駆け的なケースであり、社員監督・島村雪彦の女優の外見的な質を重視した作風は、サムのハード路線と並ぶ芳友舎の一方の個性となった。1986年には株式会社クリスティーヌとして分社化され活動を本格化、葉山レイコの「処女宮 うぶ毛のヴィーナス」などのヒット作を生んでいる。1989年にはクリスティーヌ傘下に、トップクラスの美少女ものだけをリリースするという「ティファニー(Tiffany)」レーベルも設けられた。また1986年には芳友舎とクリスティーヌの合同レーベルとして「ゴールデン・サム(Golden SAMM)」(後の「小さな映画会社」)が発足。複数キャストによる映画的な作品を制作するレーベルで、武智鉄二片岡修二といった映画畑の監督が作品を残した。

1990年代~2000年代

1990年代初頭のレーベル再編で、ミス・クリスティーヌ、ティファニーはサムとともに芳友舎が発売元となった。また小さな映画会社は活動を停止し、「スーパー過激レーベル」をうたった「エックス(X)」が短期間設けられた。1992年には株式会社エイトマンが設立され、複数キャスト専用のレーベル「エイトマン」、単体レーベルの「メビウス(MOBIUS)」などが設置された。1993年には芳友舎初の企画もの専門レーベルである「Q」が始動している。1990年代の芳友舎は、総合プロデューサーである島村雪彦の方針を反映して、星野ひかる白石ひとみ浅倉舞など美少女系AV女優の作品でヒットを量産し、1980年代にサムが打ち出したハード路線はやや影を潜めた感があった。

1995年には株式会社芳友メディアプロデュースに改称。1997年には株式会社エイチエムピィ(h.m.p)へと改称された(2004年にはh.m.p株式会社に改称)。1998年には株式会社芳友舎ジェイ(芳友舎J)を設立、厳選した美少女だけをリリースするという「フォー・ユー(for you)」レーベルを設置した。2001年には芳友舎ジェイを株式会社芳友舎と改称するとともに、「プラチナティファニー(PLATINUM Tiffany)」、「ダイヤモンドティファニー(DIAMOND Tiffany)」の各レーベルを設けて、フォー・ユーとティファニーを吸収している。なお美少女路線を牽引した島村雪彦は1999年に同社を離れている。2000年代のh.m.p/芳友舎では美少女系を重視しつつも、総合メーカーとしての色彩を強めている。また多くのレーベルの再編がこれまでになく頻繁に行われるようになり、ミス・クリスティーヌは2003年、サムも2004年を最後にリリースが停止されている。 モザイクの処理に問題が発覚。

なお1994年にはSM雑誌「奇譚クラブ」の商標権を譲り受けていたオーナーの賀山茂が、自ら監修する同名のSM専門レーベルを設立。同レーベルは息の長い活動を続け、h.m.p/芳友舎の一角で特異な存在感を示している。

銀河映像、ビデオバンク

銀河映像株式会社は元々販社の位置づけで1989年に設立されたが、1990年代から2000年代にかけて、「姦」レーベルや「SEX 9」レーベル等で独自に作品をリリースしている。株式会社ビデオバンクは1993年に設立され、映像コンテンツの再活用による編集版を中心にリリースしている。一時、バクシーシ山下監督による「DOCUMENT」レーベル元となったこともある。

2020年時点の代表である菊間は営業時代を振り返り、芳友舎といえば単体女優の会社、エイチエムピィに社名変更してからは、総合デパート的なメーカーというイメージだあったと答えている[1]

この他書籍扱い編集版専用の10(テン)、Roku文庫などのレーベルが設置された。

主な女優

h.m.p

2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2019年

芳友舎

2005年
2006年
2008年

その他

1988年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2006年

ゲーム

1996年
1997年
1998年
1999年
2000年

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 連載コラム「アダルトレーベルの歴史研究」|スカパー!アダルト第5回 h.m.p「ブランドの危機に何をすべきか」”. スカパー!アダルト. 2020年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月7日閲覧。
  2. ^ h.m.p専属女優になった霧島さくらちゃんが笑顔で登場! 結婚の条件、将来の夢を語り視聴者と交流! ニコ生放送は大アンケート祭りに発展せ”. デラべっぴんR. 2019年5月3日閲覧。

外部リンク