本社の入る日本橋髙島屋三井ビルディング | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒103-6128 東京都中央区日本橋二丁目5番1号 |
設立 |
1935年(昭和10年)12月7日 (東京電気化学工業株式会社) |
業種 | 電気機器 |
法人番号 | 7010001034849 |
事業内容 | 半導体等の電子素材部品の製造と販売 |
代表者 |
齋藤昇(代表取締役社長) 山西哲司(代表取締役専務執行役員) |
資本金 |
326億41百万円 (2021年3月31日現在) |
発行済株式総数 |
1億2,959万659株 (2021年3月31日現在) |
売上高 |
連結:2兆1,808億17百万円 (2023年3月期) |
営業利益 |
連結:1,688億27百万円 (2023年3月期) |
純利益 |
連結:793億40百万円 (2021年3月期) |
純資産 |
連結:1兆62億97百万円 (2021年3月期) |
総資産 |
連結:2兆4,014億33百万円 (2021年3月期) |
従業員数 |
連結:116,806人 (2022年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人 |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(信託口)28.43% 日本カストディ銀行(信託口)14.55% STATE STREET BANK WEST CLIENT - TREATY 505234 1.96% (2023年3月31日現在) |
主要子会社 | 関連会社参照 |
関係する人物 |
齋藤憲三(創業者) 山崎貞一(元社長) 素野福次郎(元社長) 上釜健宏(元会長・社長) |
外部リンク | https://www.tdk.com/ja/index.html |
特記事項:『TDK株式会社 有価証券報告書 ‐ 第122期』に拠る。 |
TDK株式会社(ティーディーケイ、英: TDK Corporation)は、日本の電気機器製造会社である。日経平均株価の構成銘柄の一つ[1]。日系企業売上高ランキング89位(22年度3月期)[2]。
東京工業大学の加藤与五郎、武井武の両博士が発明したソフトフェライトの工業化を目的とするベンチャー企業として齋藤憲三によって1935年に設立された。フェライトなどの電子部品に加え、過去にはビデオテープ、アナログオーディオテープ、デジタルオーディオテープ、フロッピーディスクなどの各種記録メディア(磁気、光など)も製造販売していたが[3]、現在ではフェライトやコンデンサを始めとする電子材料・電子部品・磁気ヘッド・二次電池などを製造販売する大手メーカーである。
1980年代以降、記録メディア、磁気ヘッド、電子部品、リチウムイオン二次電池と、積極的に主力事業のポートフォリオを入れ替えており、海外を含むM&Aを繰り返して事業を成長させている。経営のグローバル化も進んでおり、海外売上比率は9割を超え、海外株主比率も4割に達する。
一般消費者の間では各種記録メディアのブランドの印象が強かったが、2007年にTDKは記録メディア販売事業をイメーション(現:韓オージン)に譲渡した。同社はTDK Life on Recordブランドで記録メディアやヘッドフォンなどを販売していたが、2015年12月末を以ってイメーション社も記録メディア事業から完全撤退した[4]。
社是は「創造によって文化、産業に貢献する」、社訓は「夢 勇気 信頼」。
ハードディスクドライブ(HDD)用のヘッド部品の製造で最大手である。2008年にアルプス電気が同分野から撤退したために、HDDメーカー以外でHDD用ヘッドを製造する唯一のメーカーとなり、OEM市場でのシェアは30%を超えている。その他、HDD用サスペンション、精密加工部品等を製造・販売する。
フェライトや誘電体、圧電体といった電子材料をベースとした電子部品全般で世界的に高いシェアを持つ。車載用の積層セラミックコンデンサでは村田製作所に次いで第2位のシェア。インダクタ、トランス、高周波積層フィルタ等も高いシェアを誇る。その他、EMC対策部品、アルミ電解コンデンサ、フィルムコンデンサ、各種センサ、アクチュエータ等を製造・販売する。
フェライトの他、磁石(フェライト磁石、希土類磁石)、電磁シールドシート等を製造・販売する。
FA製品(半導体製造装置、チップマウンタ等)、電波暗室等を製造・販売する。
2001年10月にDDIポケット(現:ソフトバンク)向けにCFデータカードタイプのPHS端末RH2000Pを販売した[5]。それ以外の機種は製造していない。
電子材料用セラミックスの製造で培った技術を生かし、ライオン株式会社と共同で歯槽骨補填材「アクトセラムK」を製造していた。 その後、生体親和性の高いディオプサイト系セラミックスを開発、デンタルインプラントとして実用化を目指したが、バブル崩壊後の経営環境悪化に伴い、長期の開発期間を必要とする医療分野への本格参入を断念した。
フェライトを素にフィリップスの考案した音楽テープ規格「コンパクトカセット」(いわゆるカセットテープ)を黎明期に日本で競合メーカーの日立マクセル(現:マクセル)やソニー(初代法人、現:ソニーグループ)と共に製品化したことで知られる。かつて、松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)[注釈 1]や日本楽器製造(現:ヤマハ、ただしオープンリール風デザインの「MUSIC XX」シリーズは例外的に磁気テープ部分のみ日立マクセルのOEM)東芝(家電製品事業部、現:東芝ライフスタイル)、トリオ(現:JVCケンウッド)、ナカミチ、ラックスマンにOEM供給していた。またミュージックカセットテープとしても各レコード会社に供給が盛んであった。一部のミュージックテープにはTDK SAのハイポジション(タイプII・クローム)テープが採用されることがあった。
光記録メディアでは信号記録面保護技術「DURABIS」を採用した記録型CD、DVDメディア製品「UVガード超硬(スーパーハードコート)」「超硬」シリーズで知られていた。メディアメーカーとしては唯一のBlu-ray Disc Association幹事企業であり、「DURABIS」の採用によりBlu-ray Discのベアディスク化を可能にした。
また、レーベル面に保護層を加えた「タフネスコート」シリーズで知られるCD-R/CD-RWも販売し、記録面の色から「青タフ」や「緑タフ」として呼ばれていた。
製造は、千曲川の工場に加え、太陽誘電からOEM供給を受けていたが、2004年より、連結子会社のTDK Recording Media Europe S.A(ルクセンブルク)での製造も開始した。
これら記録メディア事業の大部分は、採算性の悪化から2007年4月にアメリカのイメーション社(現:韓オージン社)に譲渡。唯一、業務用データストレージテープの製造、販売を子会社のメディアテック(過去においてコニカ・ミノルタのメディア事業を承継)を通じて行っていたが、2013年10月に事業を休止。2014年3月には子会社の清算を行い、完全撤退した[6](その後、イメーションの日本法人も2019年11月19日付を以って法人格が完全清算された)。製造技術はアラブ首長国連邦のFalcon Technologies Internationalが技術継承している。
創業時の社名「東京電気化学工業」は、フェライトの発明者である加藤与五郎と武井武が所属していた東京工業大学電気化学科にちなんで名づけられた。
TDK(Tokyo Denki Kagaku)という略称は、戦時中の英語の規制時期を除き、創業直後から商品カタログ等で用いられ続けている[注釈 6]。1948年以降は、社名ロゴマーク(CI)にもTDKの文字(横長の楕円の中に「TDK」の文字が入る)を用いるようになった。商標権問題が発生したため1961年 - 1964年の期間は「TDK-E」(CIは横長の楕円の中に「TDK-E」の文字が入る)に変更。1959年には英文社名を「TDK ELECTRONICS CO., LTD」とした。ただし日本語社名は旧称のままとしていた。
1967年1月1日に、亀倉雄策のデザインによる現在のコーポレートロゴマークに変更される。1987年9月から、ごく一部の音楽用カセットテープ(「CDing」、「SuperCDing」、「DJ」、「CV」、「BEAM」シリーズ等)において、カジュアルユーザー向けのブランドロゴマークとして「TDK!」というコーポレートロゴマークとは別のロゴマークを使用していたが、1997年8月までに使用終了となり、以降は元のマークに戻った。なお、「TDK!」ロゴは国外向け製品のほか、ビデオテープとマイクロカセット、DAT、DCC、MDにおいては導入当初から使用されることはなかった。
1983年に正式社名を「TDK株式会社」(英文社名はTDK CORPORATION)に変更。日本初のラテン文字表記社名の企業となった。なお登記上の表記(株券・社債の表記も含む)は2002年頃まで「ティーディーケイ株式会社」となっていたが、これは当時法務省がアルファベットによる商号登録を認めなかったためで、2002年11月の法改正により商号にアルファベットの使用が可能になったのに伴い、現在は登記上の社名も「TDK株式会社」に変更されている[8]。
なお、2021年5月より就活生・若者向け企業ブランドキャンペーンを展開しているが、キャンペーンコピーは社名にかけて「尖った(T)大胆さ、(D)くれよ。(K)」となっている[27]。
なお代表取締役会長は山崎貞一、素野福次郎、大歳寛の3人が務めた。大歳が1992年11月25日に死去して以降は会長職を設けていなかったが、2006年6月29日に澤部肇が14年ぶりに会長に就任した。