Something ELse | |
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別名 | サムエル |
出身地 |
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ジャンル | ロック、ポップス |
活動期間 | 1994年 - 2006年 |
レーベル |
東芝EMI (1996年 - 2004年) オーマガトキ (2005年) |
メンバー |
大久保伸隆(ボーカル、ギター) 伊藤大介(ボーカル、ギター) 今井千尋(ボーカル、ベース、キーボード) |
Something ELse(サムシングエルス)は、1994年に結成した、アコースティック・スタイルと三声のハーモニーを基調とした日本のバンドである。略称は「サムエル」。
「柏」発のストリートミュージシャン出身であることや、楽曲「ラストチャンス」のヒットで知られる。
2006年10月22日、FINAL TOUR「LAST LIVE」を以て解散した。
解散後、大久保伸隆はソロでライブを中心に活動中。伊藤大介と今井千尋はプロデュース・ユニットranaiを結成したものの現在活動休止中。今井はレコード会社勤務の傍ら、音楽ディレクターとしての活動を行っている。
高校2年生の夏、吹奏楽部でユーフォニアムを担当していた伊藤大介は失恋をきっかけにアコースティックギターを始める。また同時期に、同じ高校で同級生だった大久保伸隆も、長渕剛ファンの友人宅に遊びに行った際、友人の兄が所有していたギターの音色に魅了され、すぐに持ち帰ってアコースティックギターを始める。
クラスが別々でそれほど親しくなかった二人だが、ある時、理科準備室で黙々とギターの練習をする、空手部の大久保の姿を伊藤が見かけたことがきっかけで会話を交わすようになる。互いに音楽に興味を持ち、ギターを弾いているという共通点も更に距離を縮めることになった。
「予餞会(三年生を送る会)」を機にユニットを結成、ストリートライブを開始する。程なくして、大久保の発案でライブハウスの出演が決まる。当初名前は決まっていなかったが「自分達の音楽が聴いてくれる人にとって心の非常口になれば」との思いから、「EXIT(非常口)というフレーズは使いたい」と強くこだわった。正式なユニット名を決めかねていたところ、ライブハウスのマネジャーが二人の名字を取って『I/O EXIT』と命名し、そのままユニット名になった。バンドのプロフィール紹介ではinput/outputという意味合いもあるとされている。
1994年5月、柏駅前のデッキ上でI/O EXITとしてストリートライブを行っているところを、たまたま母校の野球観戦を終えて帰宅途中だった今井千尋が見かける。今井は別の音楽ユニットで活動していたがプロミュージシャンとして身を立てることを志しており、自身の作る楽曲に合うボーカルと演奏を求めていたこともあって、オーリアンズの「Dance With Me」を演奏する2人に心打たれ、すぐに声をかける。その時の今井は泥酔状態であった為、伊藤と大久保は不信感を募らせたが、プロ志向を熱く語る今井に感じるものがあり、後日改めて話し合いをすることになる。今井が用意したオリジナル曲の譜面とテープを聴いた2人が気に入り、『EXIT LINE』として活動を開始。一週間後にはストリートライブを行う。後にシングルとして発売されることとなる『風と行きたかった』は最初のオリジナル曲として早くから披露されていた。
やがて、柏でのストリートライブは200人以上を集めるようになり、地元紙に取り上げられるまでになっていた。当初は歌いたいだけ歌っていたが、ライブハウスへの集客を目的とする為、後に隔週土曜日、時間も50分間で固定された。音楽関係者がその様子を知ることになりデビューへのきっかけとなる。
5社程のレコード会社からオファーを受け、東芝EMIと契約締結。 1996年の5月頃、メジャーデビューに際し「EXIT LINEは発音しづらい」とスタッフから意見があり、バンド名を変更することになる。
1996年7月13日、最後となった柏でのストリートライブで『Something ELse』としてメジャーデビューすることを発表した。EXIT LINEの『E』と『L』の頭文字を取り、“もっと良いもの。転じて凄く目立つ、たいした奴”という意味が込められている。一時、スタッフ側から「GROWINGはどうだ?」と提案があったが、すでにレコード会社内で「サムエル」の略称が定着していた為、結局この案は立ち消えになった。
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1999年(平成11年)/第50回 | 初 | ラストチャンス | 02/27 | Hysteric Blue |